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言の葉紡ぎのパラブログ

言葉で世界にかけ橋を。

考えすぎと考えなしの狭間で、ふと気づけば僕らは行路を見失ってしまう

迂遠な書きもの

迂遠な書きもの #1

考えすぎれば何もできなくなり、考えなしでは手痛い失敗を被ることがある。

そうと理解はしていても、つい考えすぎてしまう。

思考を放棄することはせず、かといって考えすぎることもせず、ほど良い塩梅で考えながら行動すればいい――ただそれだけの、ごく簡単なことがどうにも苦手なままでいる。

何もできないままに、歳を重ねて朽ちていく

思い返せば、いつもそうだった。

もっと早いうちから踏み出していればと、幾度となく後悔を重ねてきたはずだった。そんな悪癖には心底うんざりしているはずなのに、不思議と繰り返してしまう。

失敗したらどうしよう?

期待した反応が返ってこなかったら?

今更始めても日の目を見る日は来ないかもしれない。

考えれば考えるほど、そんな詮のない不安がじわりと滲み出る。躊躇が恐怖を連れて、怒涛のごとく押し寄せてくる。

何もしてこなかったという忌まわしい過去に比べれば、それは取るに足らない恐怖なのかもしれない。にもかかわらず、その都度抗いがたい圧力を纏いながら、かつて眼前に広がっていた無限の可能性を、若き日を腐らせていった。

まるで思考に巣くう菌糸のように、ことあるごとにそれは現れた。何かを思いついた瞬間に湧き上がる、あのえも言われぬ高揚感、何でもできると錯覚してしまいそうな全能感は急速に萎んで消え失せ、ほどなく冷え切った恐怖に取って代わられてしまう。

そして次の瞬間、もっともらしい理由を探し始める。実行に移せない己の弱さを隠して、逃げるために。

そんな後悔と自己嫌悪にまみれながら、気がつけば随分と歳を重ねてきたものだと思う。

若さに溢れていた10代、すぐそこにあったはずの20代は今や遥か彼方に過ぎ去り、このまま30代さえも失うことになるのだろうかと考えると、それだけで気が重い。心が暗澹たる思いに支配されそうになる。

そのうち、いずれは、準備ができたら……賽の河原で石を積むかのごとく、先延ばしの理由を探して積んでは、自分と同じ顔をした鬼に崩されていく。

一日が、一週間が、ひと月が、一年が、これでもかというほどに容赦なく過ぎ去り、日毎に近づく人生の終わりを避けることは適わない。

どれだけ憧れ(焦がれ)、何度決意を新たにしても、それを誰かに宣言したとしても。結局のところ、ただ一歩を踏み出せるかどうかが結実の有無を決める。

晴れて無職のやるべきことも少ない今なら、先延ばしにする理由もないはずだ。

だから、もう終わりにしようか。

今この瞬間が「その時」なのだと、踏み出せない一歩などありはしないのだと、そう言い聞かせながら不安を振り払い、躊躇を退けて、自分自身の弱さに対して抱く恐怖に、心折れることのないように。

何もできずに失うことが、これから先はないように。

考えすぎと考えなしの狭間で、僕らはもう一度行路を見つけ出す――そうだと信じたい。