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言の葉紡ぎのパラブログ

言葉で世界にかけ橋を。

雨後の筍のごとく次々に登場するサービスやアプリが、緩慢に自由を殺す

迂遠な書きもの #10

テクノロジーの進歩が、日常を便利なものへと変えていく。そのはずだ。

電話やFAXは過去のものになりつつあり、今やLINEはインフラの一つとして数えられるまでに普及した。Facebookアカウントは持っていて当然で、電子メールですら共通概念ではなくなってきている。

望もうと望むまいと時代はその歩みを止めることなく、変遷は急速にして強制的だ。その良し悪しはともかく、人々を置き去りにしながら社会のあり方さえも塗り替えてしまう進歩が目指しているのは、一体どこなのだろうか。

便利ではあっても、時々はつらいとも吐露したい

あぁ、自由が不自由を連れて足早に駆けてくる――そんな気配を感じることがある。

日単位で改良され、小型・高性能化されていくスマホとそこに収まったアプリ群は、以前なら持ち歩いていたであろう荷物を減らし続けている。行動の自由度を広げている、と言い換えてもいい。

この薄く小さな端末は、いつの間にか「これがあれば困らない」ものへと成長を遂げ、そして「これがなければ困ってしまう」ものとして、ある種の呪縛になりつつもある。使っているのか、使わされているのか、境は希薄だ。

Webでは日々膨大な記事が更新され、SNSのタイムラインもそれに負けじと流れていく。

見なければいいと言われれば、その通りだ。登録しなければいいと言われれば、それもその通りだ。遮断は自由で、調整すれば適量を探すこともできるだろう。

まったく、その通りだ。

連絡先の話になっとき、LINEやFacebookを尋ねられる割合が増した。会計で割り勘にするなら、最近サービスが始まった「Paymo」というアプリが大層便利だと聞いた。

電話やメールが好きかといえば別にそんなことはないし、手紙は今や情緒を楽しむためのもので、流石に連絡手段としては論外だ。割り勘にしても、現金払いは融通が利かない上に過不足は常、そもそも所持金という概念自体が不便だ。なるほど、異論はない。変遷も道理というものだ。

当然のことだろう。新しいものはかくも便利で、瞬く間に普及する時代になった。使わない理由を探すのが難しいほどに利便性に富むのだから。

ただ、そうだとしても。

俺はLINEやFacebookの仕様が嫌いなのだ。必要以上に誰かと繋げようとしてくる押し付けがましい仕組みや、ごく断片的なはずの情報を基に、見事に過去の人間関係を掘り当てて提示までしてくるところが。これでもかというほどガチガチに設定しなければうっかり漏れ出してしまうところも、どうしても受け入れられない。

Paymoが前提になっては困るのだ。あれはJCBもAmexも使えないのだから、新規にVISAかMastarでカードを作らなければならない。カードは手持ちの2枚でも完全にオーバースペックなのだから、Paymoを使うために別の不自由を増やしたくはない。

選ばなければならない。好きになれないという感覚や、小さなこだわりを守りたいという独善的とも思える理由で、我慢して使うか、それとも断るのか、いずれかのストレスを。

そんな自由で不自由な選択肢そのものを、時々つらいと感じてしまう。妙に億劫で、いたずらに面倒で、それでいて切り捨てることもできない。そんな「使わされる社会」に、じわりと蝕まれる。

便利で自由な不自由に、殺されていくのだ。

そういえば、昔個人的に付き合いのあったITコンサル会社の社長が「また新しいSNSが出てきたよ……もうそろそろ勘弁してほしいよね」と、ため息まじりにこぼしていた。まったくその通りだ。便利という名の鈍器への対応も、楽ではないのだから。