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言の葉紡ぎのパラブログ

言葉で世界にかけ橋を。

月という普遍的にして不思議な奇跡を、煩雑な日常の中に置き忘れていく

迂遠な書きもの #2

月を見上げるその度に、不思議だと思えている。

いつまでも変わることなくそう思うのだろうという、確信めいた予感。

月があるというただそれだけの事実が、僕らが連綿数多の奇跡の果て、その末席に生きていることを教えてくれる。

思い出したように、月を見上げている

考えてみれば、人類は最も身近な天体である月はおろか、この地球にある地中や海底の全貌すら完全には解明できていない。

月とは。

ひとたびその成り立ちや原理を教わってしまったが最後、当たり前の存在として認識が書き換えられてしまう。

たまに視界に入ったそれを意識したとしても、せいぜい「今日は月が明るいな」とか「綺麗だな」と思うくらいで、その不思議に思考を巡らせる変わり者はほぼいなくなる。

けれども、本当にそんな程度のものだろうか?

どれだけ解明済みの事実や科学的根拠に基づく推論を説明され、その成り立ち(補足として、月の成り立ちは諸説ある)や引き起こす現象の原理を理解したつもりになっても、その上でなお不思議な存在としてその目に映りはしないだろうか?

こうも都合よく、地球と衝突することのない距離を保ち続けていること。常に同じ面を地球に向けるように、自転と公転を続けていること。満ち欠けを繰り返しながら、地球に太陽光を届けること。遠い宇宙に浮かびながら、大海の潮位に多大な影響をおよぼすこと。

およそ解明済みの不思議を抱きながら、今日も月は静かに回る。いつものように、当然のように奇跡的な螺旋を描き、真空の宇宙を泳ぐ。

月は始まりの祖先からこの方、全人類といっても過言ではないほど数多の人々に認知されきた天体で、太陽と並んで人類世界で最も存在承認を得てきたものの一つだ。

誰もが知るありふれた存在でありながら、まるで世界の不思議と奇跡そのものでもあるかのように、この目には映る。

それなのに、僕らはしばしばそのことを日常の喧噪に置き忘れてしまい、そうと気づかないことも多い。

世界のすべては連綿数多の奇跡で成り立っていて、誰もが例外なく体現していることを。

喜劇的なものから悲劇そのものまで、その色は千差万別として混在しながら、すべてが純然たる奇跡だということを。

不条理な運命であるかのように避けがたいものもある一方で、自ら望んで選び取りさえしたなら、願う結果に近づくように紡いでいくことができる幼苗があることも。

忙しさにかまけた日常の中に、置き忘れている。

わかりやすい奇跡だけが奇跡なのだと、信じてしまっている。

わかりやすい奇跡以外を、当然だとでもいうように軽んじてしまっている。

足元にあったささやかで大切な何かを、自覚することなく置き忘れたままに生きている。

ありふれた時間を灯す、そんな奇跡があることすらも。

何かの拍子にそのことに思い至ったとき、疲れた自分に気づいたとき、思い出したようにカメラを持ち出して、撮る。

月という名で呼ばれる、見慣れた奇跡を。

いつかまた、月を見上げることを忘れている自分に気づく日が来るだろう。それが近い未来なのか、それともまだ先のことなのかはわからないとしても。

いずれにせよ、ある日ある時、あまりにも当然のように宙に輝くその見慣れた奇跡に、見上げた月に一瞬でも心奪われたなら――きっと、何度でも思い出せるはずだ。

誰もが「普遍的で不思議」な、ごくありふれた奇跡の連なりに生きているということを。