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言の葉紡ぎのパラブログ

言葉で世界にかけ橋を。

苦手の克服は、ときに人生を再誕させ得る可能性を秘めたカタルシスを生む

迂遠な書きもの

迂遠な書きもの #4

先日、1泊2日の旅程を組んで、金谷にて勉強会イベントに参加した。

表向きは3団体での合同開催となっていたものの、実態としては現地の「まるも」が主体を務め、ほかは一部を除いて純参加者に近かった。

俺はといえば、せっかく東京湾を挟んだ向こう側まで行くわけだから、現地を楽しむことを優先に懇親会の類だけの出席と決め込んだ。海へ山へと、大いに歩き回るためだ。

それはきっと、人生がくれるカタルシスになる

ときに、俺は物心ついた時から極度の人見知りを患い、歳を重ねるにつれて拗らせもした。

自己紹介の場では、かろうじて小声で名前を言うだけに終わり、家に来客でもあろうものなら、全力で気配を殺して居留守に徹する。注目は禁忌に等しかった。

我慢をすれば何とかなる範囲なら、犠牲を払ってでも避ける。そういうレベルだ。

それは成人後も尾を引き、自己の存在価値を否定する後押しをしながら、折に触れて人生に苦しめ、また狭める要因になった。

ただ人に話しかけ、話しかけられるだけのことがどれほどの心理的困難を伴い、そのために被った不利益の蓄積がどれだけ心を締めつけたことか。

話を戻すと、初日は金谷海岸を、翌日は鋸山の登山道を回ると決めていた。

当日、「まるも」を出発して海岸に向かおうとしたものの、思い直して踵を返し、向かいの観光案内所を訪ねた。

理由は単純、せっかく遠くまで足を運んで観光めいたことをするのだから、地元の人たちと交流しないというのも損に思えたからだ。

終わってみれば、正味30分ほど話し込んでいた。

そして翌日、鋸山登山道へ。

山道では、すれ違いざまに挨拶をする人が多い。むしろ挨拶をしない人のほうが少ないくらいで、東京都心では考えられない。

山頂付近で駆け足気味にすれ違った20歳前後と思しき三人組も例に漏れず、気力に満ちた挨拶をくれた。

それから若干道を間違えつつも予定のルートに戻って下山する途中、どこかで見た覚えのある三人組が、汗だくになりながらも再び元気な挨拶をくれた。

無難に挨拶を返して通り過ぎようとしたものの、またも何を思ったのか声をかけた。「そういえば、先ほどもすれ違いましたね」と。

彼女はにこやかに「ですねー! 大仏、見てきましたよ!」と返事をくれた。

我ながら、にわかに信じがたい。道中で赤の他人に話しかけるということが、難なくできてしまった。後にはただ爽やかな気分が残り、下山の足取りも軽くなる――疲れ自体は変わらず残っていても、だ。

何かの会の参加者同士ということもなく、大義名分がある関係でもなければ自分か相手が必要に迫られた状況でもない。もちろん、ひどく酒に酔って我を忘れているわけでもない。

にもかかわらず、わざわざ引き返して観光案内所を訪ねたり、鋸山では二度すれ違ったことに気づいて声をかけていた。

それは一般的には「たかだかそんなこと」だろうけれど、俺にとっては「にわかに信じがたいこと」であり、紛れもなく「ようやくできるようになったこと」だった。

30年越しの、カタルシスとの邂逅。

人との関わりへの苦手意識が内在する限り、どう取り繕っても心の奥底に抱えた孤独が消えることはない。それを誤魔化しながら生きるのは、とてもつらい。そして寂しい。

苦手を克服すること。

それは、苦手意識に囚われていた過去の自分に対して、圧倒的な自信を示す唯一の方法。人生のいつか、心の底から自分を認められる、その日のために。

全力で逃げることで開ける活路は、たしかにある。

けれども、抱えた苦手が心に影を落とし続けているのなら、それを克服してのみ得られる輝石もまたあるのだ。克服なくして超えることも得ることも叶わない、人生にはそんな秘宝も眠っているのだから。

翻って、俺は人間関係が苦手だと強く念じて生きてきた。発信行為自体を苦手だと感じてしまう瞬間が、今もまだ残る。苦手意識と克服の欲求が、しばしば衝突してしまう。

かつて苦手だと感じていたすべては、はたして今でも苦手だろうか?

苦手と意識するほど、それはより強い念となって苦手意識を強めてしまわないか?

そんな疑問を抱いてみれば、再誕できるのかもしれない。まだ出会ったことのない、新しくも懐かしい自分へと。