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言の葉紡ぎのパラブログ

言葉で世界にかけ橋を。

迂闊に「好きを仕事に」しようとすると発症しがちな病とその予防策を考える

迂遠な書きもの #6

考えるに、「好き×仕事化=幸せ」とは限らないのではないか――。

そんな仮定に基づいて、「好きを仕事に」する前に、本当に仕事化するべきかを「小さく試して確かめる」ことを意識しながら生活している。ただし、割と迂遠にではある。

どう仕事化するか病の発症を左右する

もし「好き」と「仕事化」のかけ合わせ方を間違えると、せっかくの「好き」の純度を下げることになりかねないし、ともすれば仕事のことを考えるだけで憂鬱になってしまうかもしれない。

最悪の場合、好きだったそれを嫌いになった挙句、負債まで抱える可能性もある。

俺自身で例えると、どうやら旅をするのが好きらしい。それは三軒茶屋から実家のある鎌倉への徒歩旅行、金谷へのフェリー旅~鋸山登山、高知の移住者歴訪……と、最近旅を重ねてみてわかったことだ。

特に、行動の自由度が高い旅ほどいい。奔放な旅は心が躍り、体力も漲ってくる。

それから、ブログやTwitterでWeb上に何かを残していくことも好きだ。やや特殊なこだわりが強すぎるあまり、生産性グラフが地を這っているのはともかくとして。

ところが「ブログで記事化する前提」で旅をするとなると、少しばかり話が違ってくる。

記事にする以上は、その仕上がりにはこだわりたい。しかし、記事の仕上がり(写真の質×文章の質×記事構成)の自己基準をクリアしながら旅をすると、その分だけ楽しむことが難しくなってしまう。

この「楽しむことが難しくなる」の時点で、「好きを仕事に」という前提が崩壊しかかってしまうことがわかる。

旅は楽しい反面、それなりに資金と労力がかかるし、同行者がいれば記事用写真の撮影時間は確保しづらくなり、だからといって待たせたり気を遣わせてしまうのは、本意にない。

楽しむのが難しくなれば、そう遠くないうちに「仕事としての旅」を考えることが億劫になるのは明白だろう。これはあまりにも勿体ない。

そんなわけで、「旅行の記事化」という仕事化はやめておいたほうがいいことに気づき、同じ理由で金谷と四国の旅行も記事化はしないことにした。皮算用と結果とが違ってしまったわけだ。

その上でもう少し仕事化の可能性を探ってみるなら、旅の最中にTwitterで報告を上げていくのは楽しい。リアルタイムならではのライブ感をそのまま残すことができるし、苦しい場面でもコミュニケーションが救ってくれることもある。これはとてもいい。

帰宅後に写真を編集して、Instagramにアップするのも悪くない。何しろテキストは「○○の××」くらいで十分、専業のInstagramerになるつもりもない以上、ハッシュタグも思いつく範囲でいい。つまり、テキストはオマケ感覚でいられる。

難点はInstagramの仕様上、かなりの画質劣化を余儀なくされる点だ。が、これもそれなりに不満とはいえ、ブログとは違って全員が同一仕様の劣化となれば諦めもつく。それに必要とあらば、劣化前のファイルからいつでも最高画質での書き出しができる。

すると例えば、Twitterでの旅ツイートに投げ銭などを絡めることができたら、旅を仕事のうちの一つにするというのはありだ。Twitterに投げ銭機能があれば申し分ないし、そうならずともやりようはありそうに思える。行き先を募る、というのも面白いかもしれない。

そういうわけで、「好き×仕事化」を考えたときに重要になることの一つは「なるべく好きを損なわずに仕事化する方法」を見出すことだと考えている。

人に会い、旅に出て、目で見て、手で触れて、感じて……そんな小さな試行錯誤と問いかけを繰り返す、傍目には怠惰な遊び人生活を続けた果てに何かしらの成果が伴うかどうか。

今はまだわからない。