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言の葉紡ぎのパラブログ

言葉で世界にかけ橋を。

実名・顔出しが最先端かつ信用されるらしい世界で、匿名・顔なしを生きる

迂遠な書きもの

迂遠な書きもの #9

聞くところによると、Webでの実名・顔出しは信用されやすく、最先端らしい。

個人が特定でき、風貌や表情が見える実名・顔出しが信用されやすいという理屈は、それ自体が希望的観測であって根拠というには乏しい。ただ、感覚的に「リスクを取っているのだから信用できるはずだ」と思い込みやすい人がいることも理解はできる。

仮に実名・顔出しが信用されやすいとして、更にそのほかにもあるかもしれないメリットを享受できないとしても、俺は長年慣れ親しんだ匿名・顔なしの文化が気に入っている。

理由はあってもなくてもいいのだけれど

思えば、もう20年近くも匿名・顔なしだ。懐かしのWebサイトから廃人生活のMMORPGを経て、黎明期のSNSやこのブログまで、それぞれの名前で渡り歩いてきたわけだ。

このアイコンと名前を使い始めてからは、早くも1年半ほどだろうか。若干は知名度も育ってきたといえなくもないし、「唯一あそこで顔を出していない人ですね!」という認識のされ方にも慣れてきたものだから、今になって実名・顔出しに変更するのも面白くない。

それに、長期間にわたって実用されたアバターには、良くも悪くもそれまでの実績が紐づけられていく。電子的なアバターでありながらいつしか実体を得たかのように存在承認を得るその日まで、もう一人の自分を育てていくのも楽しいだろう。

もう一つ付け加えておきたいのは、匿名・顔なしには「そこでの活動と自分自身を紐づける相手を(ある程度は)選ぶことができる」というメリットがあることだ。

誰しも、余計な心配をかけたくない人や横槍を入れられたくない誰か、二度と関わりたくもないあんちくしょうの一人くらいはいるだろうから、そのあたりの心配をほぼしなくても済むのは大きい。

内容によって人格を分ける二刀流も使えるし、一般的にドン引き必至のマニアックで濃密な話でも社会的に死ぬ可能性は低くて済む。もし必要になれば、限定的な範囲で教えることから全体への公開に踏み切ることまで自由自在だ。

実名ではとても発信できない、そんな際どくも面白いコンテンツがTwitterに届くのは、それを生み、そして届けてくれる自由奔放な匿名・顔なしがいるからだ。その自由さが軽い気持ちで問題を起こす土壌を育んでしまうのだとしても、俺はそんな混沌を抱えた世界を愛している。

そういうわけで、これといって期限は設けずに、当面は匿名・顔なしのままでいたい。

実名・顔出しのほうが信用されるというなら、あえて匿名・顔なしでも信じてくれる人に期待するのも悪くない。何故なら、その人はこの広大なWebやSNSで発信しているどこの馬の骨とも知れない自分を見つけ出して、そして信じてくれた人なのだから。

ついでに……実名・顔出しの界隈に属していても、匿名・顔なしを貫いて堂々としていればいいという、ある種の灯火のようなものでもあれたらと思う。多数派の中に入って、そこでの少数派でいるのだ!