PARABELL LIFE

ゆる哲学と丁寧の“Co民家”を運営するフリーランス・パラベルのポータル×コラムブログ

他者の事情を慮れば、それは怒りの呪縛から解き放たれる魔法になる

怒りの呪縛を断ち切ろう

何かにつけて「この人にも事情があるんだろうな」と考える癖をつければ、大抵のことでは怒らなくなる。

むしろ「怒れなくなる」と言ったほうが正しいかもしれない。

単純に精神的に不安定になっているとか、ホルモンバランスが乱れているだとか、それこそガンジーでも怒り狂うレベルで酷いだとか、そういう特殊な場合はまた別としても。

人はそもそも自分中心で物事を考える

大枠から考えると、人が怒りを感じるのは「自分の信念、美学=総じて価値観に反する行いに直面したとき」といえる。

自分に対して向けられた行為はもちろん、他者間で繰り広げられるそれでも同じだ。

己の価値観にそぐわないと見なしたとき、まずは心の中に不快感や不満が芽生え、それがある一定の水準を超えると怒りとしてあらわになる。

翻って、人は基本的に自分の価値観でしか物事を考えられない。それを想像力のおよぶ範囲で補う努力はできても、思考は必ず自分中心に形成されてしまうものだ。

そんな避けがたい性質が災いし、この世は多くの怒りが生み出す悲劇で満ちている。

相手の立場を考えれば怒るほどのことでもない、むしろ同情してしかるべきなのに、身勝手な怒りを覚えてしまうのだ。

そんな怒りの呪縛を断ち切るための魔法があるのを、あなたは知っているだろうか?

他者の事情を慮ると、自然と怒りは冷めていく

そう、それが他者の事情を慮ることだ。

一部の極端な状況下を除けば、およそあらゆる場面でこの魔法は有効だ。

それっぽい仮定をでっち上げて、「そういうことならしょうがない、気の毒だから許してあげよう」と思えるようにしてしまえばそれでいい。

例を挙げよう。

コンビニで中年男性が列に割り込んできたとして、その人は鬼より苛烈な鬼嫁にシバかれる恐怖に怯えるあまり、1秒を急いで割り込んでしまったのかもしれない。

運転中にやたらと車間距離を詰めてくる後続車がいたとして、その運転手は今にも炸裂しそうな最強便意を必死に堪え、頼むから道を譲ってくれと訴えているのかもしれない。

いつも嫌味ばかりで気の滅入るあの人も、不遇な家庭環境で捻くれて育ってしまった気の毒な被害者なのかもしれない。

そんな具合に、ほとんどの場合で何らかの「事情」を仮定できてしまう。

ここで意識しておきたいのは、特に甚大な被害でも出ない限りは個々の「かもしれない」の仮定が事実かどうかはどうでもいい、という点だ。

人にはそれぞれ事情があって、多くの場合、その実際は確かめようがないのだから。

重視すべきは、限りある人生を無為に過ごさずに済むように、怒りの呪縛に囚われたままでいないことだ。

怒りに振り回される側から、怒りを上手に扱う側になる

怒りに振り回されないようになると、今度は怒りを上手に扱えるようになっていく。

自分の怒りはもちろんのこと、(ある程度までなら)他者の怒りもどう扱えばいいのかわかるようになる。

今、あなたは身近な人から怒りを向けられてしまったとする。

相手の事情を慮れるようになったあなたは、いたずらに相手の土俵に立つことはない。何か事情があるのだと、そう冷静に考えられるからだ。

この人はどうして怒っているのかを考えた上でなら、あえて怒ったフリで応戦するのもいいだろうし、どっしり構えて相手の言い分を受け止めてもいい。

出だしからの暴力沙汰でさえなければ、大抵の場合は対処できてしまう。

冷静であることは強力な武器となり、その冷静さの源泉は相手に対する思慮深さだ。

怒りの呪縛を断ち切る魔法を使えるようになれば、人生は大きく変わる。

ちなみに、いきなり殴ってくるような話にもならない輩の場合、一にも二にもとにかく距離を置くべきだ。そういう残念な手合いは、慮るほどかえって地獄を見ることになる。