PARABELL LIFE

ゆる哲学と丁寧の“Co民家”を運営するフリーランス・パラベルのポータル×コラムブログ

他人の車のドアを力強く閉める人は、心の底から悔い改めてもらいたい

他人のものこそ丁寧に

同乗した他人の車で、ドアを強烈なまでに力任せに閉める人が多すぎる。

親の仇でもあるかのように力を込めて閉められたドアは、過剰な衝突音とともに車体を揺らし、すわ壊れてはいないかと心配になってしまう。

自分の車だけならまだしも、他人の車でも平然とそれをやってのけるのは単に想像力の欠如なのか、それとも別のところに由来するのか、いずれにせよ目眩を覚えてならない。

車のドア閉めには適切な力加減がある

何も考えず、力任せにドアを閉めている人は知らないかもしれないが、ドア閉めにはその車種・モデルごとに適切な力加減というものがある。これは車に限らずだ。

車のドアを閉めるときは、車体との隙間が15cmくらいになるまではゆっくりと閉め、最後の15cmを閉めるときに力を込めて閉めれば十分に事足りる。

もし半ドアになってしまっても、少しだけ力を強めてもう一度やり直せばいいのだ。

車も所詮は金属や樹脂で作られた工業製品の一つでしかないわけで、フルパワーでドアを閉めようものなら壊れることだってある。

すぐには壊れなかったとしても、過度に力を込めた開け閉めを繰り返せば徐々にダメージが蓄積されていき、想定耐用年数よりも寿命が早まってしまう。

スマホを置く際に毎回投げつけていたら、そのうち画面が割れたり内部の部品が飛んだりするのと同じだ。

あるいはノートPCの画面を閉じるとき、力いっぱい叩きつけるだろうか? そんなことをする人はまずいないだろうし、考えるまでもない当然の話だと思っていた。

他人の所有物は丁寧に扱うもの

当然の話だと思っていたのに、車のドアを力任せに閉める人があまりにも多いのだ。

まず、他人の所有物を乱暴に扱いながら平然としている事実が衝撃的だ。

驚くほど大きな衝突音を立てておきながら何とも思わないのが不思議でならないし、壊れてしまう可能性に思い至らないことも理解に苦しむ。

もしかすると乱暴だという自覚がないのかもしれないが、いかにも悲痛な音を出しているのだから疑問を持ってほしい。

そもそもからして、その車は他人の所有物なのだから、丁寧に扱うのは前提条件だ。

持ち主が日頃から大事にしているかもしれない車を、どうして同乗者の立場で乱暴に扱えるのか……いや、乱暴だという自覚がないと仮定した上で話をするべきか。

例え話が車だと理解が難しいなら、何か自分が大事にしているものを乱暴に扱われた場合を想像してみるといいだろう。

誰かに貸したスマホやWi-Fiなど、何かしらの電子機器の類を投げて返されたとして、画面が割れたり傷がついても何とも思わないだろうか?

そのことで余計な出費や不便に悩まされたとして、思うところは何もないだろうか?

言うまでもなく、車に限らず他人の所有物を壊せば、賠償責任が生じる。

事が不可抗力なら無償で水に流してくれるかもしれないが、単に扱いが悪いだけならそうもいかない。もう二度と乗せたくない・貸したくないと思われても、やむなしだろう。

また乗せてあげたいと思ってもらえるように

そういう人は極力乗せないようにしていても、あまり無下に断ると角が立つし、本当に困っている様子なら助けてあげたくなるのが人の情だ。

すると「ドアは優しく閉めてほしい」などと、注意喚起をしなければいけなくなる。

素直に聞いてくれた場合でも何となく心苦しい気持ちになってしまうのに、人によってはこれを言っただけでも、あろうことか不快感を示してくるのだ。

自分の車を守るために必要なことを言っただけで、不快感を示されてしまう。しかも乱暴に扱ってくれた相手から、だ。

何だろうか、この理不尽は。あまりにも不条理で、いっそ悲しくもなる。

場合によってはガソリンと各種消耗品代、運転の労力に時間、そして事故リスクまで負った上で乗せているというのに、そんなことまである。

他人の所有物は極力丁寧に扱う、そんなことは当たり前であってほしい。

誰かの車に同乗する際は、どうか感謝を込めてその車を丁寧に扱ってあげてほしい。

他人の所有物を扱うときは、持ち主よりも丁寧に。

ドアはもちろん優しく閉め、ゴミを出したら降車時に引き取り、特に顔面の油脂をシートに擦り付けるような野蛮人の真似事は、絶対にしてはならない。

そんなごく当たり前、最低限のマナーを守りさえすれば、きっと次回も喜んで乗せてあげたいと思ってもらえるはずだ。