PARABELL LIFE

ゆる哲学と丁寧の“Co民家”を運営するフリーランス・パラベルのポータル×コラムブログ

完全でも完璧でもない愛が、無尽蔵のエネルギーと可能性の苗床を生む

愛は心の恒星に火を灯す

愛は完全でも完璧でもなければ、すべての不可能を可能になどは当然してくれない。

してくれないが、愛だけが光明を示す場面が無数にあるのもまた事実だ。

人という不完全で不安定な生き物が秘めるこの概念は、時としてすべてを超越凌駕するかのような精神力を与えてはくれるものの、実のところ、その扱いはことのほか難しい。

愛はあらゆる分岐を生み出す可能性の苗床だ

愛を「無敵の何か」とでも考えているとしたら、それは大きな間違いだ。

繰り返しになるが、愛は完全でも完璧でもなく、もちろん無敵でもない。周知のとおり、現実を前にたやすく膝を折り、失われてしまう愛がこの世にはあふれているのだから。

同時に、愛が無力かといえばそれもまた間違いだ。

少しばかり矛盾を感じるかもしれないが、そうとも限らない。

愛は時折、何でもできるような感覚をもたらすことがある。魂が燃えて輝くような、無尽蔵のエネルギーを生み出す恒星のような精神力を、心の中に与えてくれる。

ある時は紅炎のように猛々しさを振るえるような、またある時は暖かな陽だまりを与えられるような、得も言われぬ万能感を抱く。愛は無敵だと、そう錯覚してしまうほどに。

愛の真価を定義するとしたら、何になるだろうか?

それはおそらく、あらゆる分岐を生み出す可能性の苗床となるところだ。

そこに愛があるというだけで、未知の可能性が生まれる。愛のほかには何ら理由らしい理由もないのに、愛なくしては差すことのない光明が、ただ愛の名の下に差し込むのだ。

さりとて、愛は少なくとも孤独を殺す

愛が地球を救うかといえば、率直に言って無理な話だと思う。

ごく少数に向けた愛のために大多数を犠牲にしかねないのが人というものだから、愛に基づいて地球を滅ぼすリスクも十分にある。

そうでなくとも、地球を救うには人類全体が横断的な愛の共有を図る必要がある。現生人類がそこまでの域に達しているとは、到底思えない。

さりとて、愛は少なくとも孤独を殺す。

ひとたび孤独から解放されるや否や、それまで不可能の顔をしてそっぽを向いていた数多の可能性たちが、その表情を一変させて微笑むのだ。

愛が地球を救うことはなくとも、たった一つの愛との邂逅が孤独を退けて、無限に等しい可能性との巡り合いをもたらしてくれる。

愛ある関係が結ばれている限り、孤独の生まれる余地はない。

孤独には孤独なりの強さが備わるにしても、独力でもできることには限度がある。枝葉の広がりは遮られ、蒼穹には遠く及ばず、何よりも孤独はどこまでも寂しい。

愛に振り回されながら、愛が示す光明を求めている

あまりにも強すぎる一方的な愛は、望まずとも相手を押し潰してしまう。

受け手にとって相容れない形の愛は、悲しいことにほとんど暴力と区別がつかない。

ならばと人それぞれにまるで異なる最適な愛の在り方を正確に知ろうとしても、残念ながら不可能に近い。

愛に救われる人もいれば、愛を求めて心に深い傷を負う人もいるだろう。

孤独を殺し、可能性の苗床に新たな未来を育てられるかどうかは、結局のところ愛を扱う当人の資質に委ねられている。

愛の解釈の一つでさえ、まともに扱うのは難しい。

どこまでも不完全で不安定な生き物による、完全でも完璧でもなく扱いの難しい愛という名のこの概念に、昔も今もこれからも、振り回され続けていくに違いない。

愛が生み出す無尽蔵のエネルギーと可能性の苗床を、どうにか手に入れようと求めてしまうのだろうから。

絶望の淵から抜け出すために、狂おしいほどの孤独の渇きを癒すために、未来への可能性を掴むために、ただ平穏な明日を迎えるために、そして大切な誰かを守るそのために。