PARABELL LIFE

描いた「理想の暮らし」は、自分の力で組み立てる ―― そんなフリーランス・ライフ・ログ。

大規模災害時の自粛ムード誘導は必要か?活発な消費活動こそ被災地・被災者を救う

自粛ムードは愚の骨頂

大規模災害が発生すると、インターネットでは募金の呼びかけが盛んになり、それはしばしば自粛ムードへの誘導を伴う。

募金の呼びかけは「困っている誰かを助けたい」「役に立ちたい」などの善意によるものだろうから、それ自体は素晴らしいことだと思う。

問題なのは、

  • ○○に使うならその前に募金するべき
  • 被災した人がいるのだから娯楽は自重するべき

こういった個人の自由の抑圧や、消費行動に対して罪悪感を抱かせかねない喧伝だ。

災害を理由に個人の自由を制限する権利は、誰にもない。ましてや消費活動を阻害する自粛ムードを蔓延させれば、経済は停滞して復興にも影響をおよぼす。

自粛を伴う呼びかけに応じて募金をする人は、少なからずいるだろう。それでも、俺はこの手の呼びかけには反対する。こうしてはっきりと立場を表明するくらい、明確にだ。

消費は悪ではないし、せっかくの善意が悪循環を招いてしまうのは、あまりにももったいない。募金の呼びかけはもっとシンプルでもいい。

経済活動が停滞すれば復興は遅れ、国力をも削いでいく

基本的なところから話をすると、自粛ムードは被災者のためにはならない。

理由は単純、復興を遅らせるからだ。消費の自粛が経済活動を停滞させる理由や悪循環の経路は、それなりに複雑だ。代表的なものから説明しよう。

まず自粛ムードで消費が細った先に待っているのが何かというと、

  1. 国や地方の税収が減る
  2. 募金への意欲と額が下がる

こんな現実だ。残念ながら、明るい未来を予感させてはくれない。

自粛ムードは国をも滅ぼす。

思考停止に陥って闇雲に自粛を叫ぶ前に、最低でもこのことは理解しておくべきだ。

消費が細ると税収減の連鎖に陥る

消費が細れば、企業や個人事業主の利益が削られていき、

  • 事業利益にかかる税収が減る
  • 事業投資にかかる税収も減る

事業者からの税収減という、直接的かつわかりやすい結果を招く。

そして企業や個人事業主の利益は個人の所得を大きく左右するわけだから、

  • 個人の所得が減る=かかる税収が減る
  • 所得減で消費が細る=消費税などの税収が更に減る

こんな具合に、税収減の連鎖に陥る。

自衛隊を始めとする公務員の災害派遣にしろ備蓄にしろ、その費用の出所は税金だ。復興財源も、もちろん税金だ。

税収が下がればどうなるのかは、言うまでもない。

ただでさえ復興には莫大な税金を要するのに、自粛ムードで税収が下がれば、それは日本の国力を削ぐ結果につながる。なぜ自粛するのか、本当に必要なのかを考えるべきだ。

経済停滞の悪循環は平時であっても避けるべき事態

もちろん、税収以前に経済全体を停滞させる問題も無視できない。

経済停滞の悪循環は、災害時でなくとも避けるべき重要な問題だ。税収減は、あくまで経済停滞の結果にすぎない。

前述したように、消費が細ると個人の所得にも悪影響をおよぼし、

  1. 個人の所得が減る
  2. 所得減によって消費が細る
  3. 企業や個人事業主の利益が更に減る
  4. 個人の所得も更に減る

やがて経済停滞の悪循環を招く。

ここでは募金だけに目を向けるとして、企業や個人事業主の利益が減れば、

  • 企業の募金への意欲や額が下がる
  • 個人の所得が減り、個人の募金への意欲や額が下がる

結果的に企業も個人も財布の紐が固くなり、募金への意欲が削がれるかもしれない。

大規模災害時には、個人だけでなく企業も募金に名乗りを上げる。ただし、それは利益や余裕があってこその話だ。

大事な利益を(寄付控除があるにしても)募金に投じ、更に自粛ムードで売り上げも下がるとあっては、企業が二の足を踏んでしまっても無理はないだろう。

個人は個人で、財布に余裕がなければ募金に投じられる額もしょっぱくなっていく。

自粛ムードで経済を停滞させても、一部の感情的な人をなだめるだけにしかならない。その代償として待っているのは、被災者全体、そして支援活動をしてくれている人たちの首を絞め、復興を遅らせる負の連鎖だ。

自粛ムードの持つ、運命共同体的思考の愚かさ

不幸はいつでも、そこかしこで起きているはずだ。大規模災害の場合は文字どおり規模が大きく、わかりやすく表面化しているにすぎない。

もし本当に「見ず知らずの誰かの不幸に際して自粛するべきだ」と考えているなら、その人は年がら年中自粛しているはずで、そうでなければ説得力がない。

大規模災害のときだけ都合よく運命共同体的な自粛論を振りかざし、自粛ムードを扇動するのは愚かだ。それはただ人の不幸に便乗して騒いでいるだけで、得るものは乏しい。

辛辣だろうか?

思考停止はやめて、考えてみるべきだ。

  • 本当に自粛は必要なのか
  • 自粛は被災者の利益になるのか
  • 本当に自粛で救われる被災者がいるのか
  • いるとして、割合はどうなのか

誰かに扇動されることなく、自分の頭で考えた結果はどんなものだろうか?

もしあなたが「自粛は必要」と判断したなら、好きなだけ自粛すればいい。あなたが勝手に自粛する分には、誰も文句は言わない。

ただし、経済を滞らせて復興を遅らせてしまう自粛を「呼びかける」ことだけは、どうか自粛してほしい。

自分が被災したなら、どういう態度を取るかを考えよう

自粛によって得をする人は、ほぼいない。「自分が被災したのに平穏な日常を送れているなんて許せない!」などと八つ当たりをする人たちの感情をなだめる程度が関の山だ。

災害時になぜか蔓延する自粛ムードは、する理由も必要性もおぼろげで、得るものもない感情的なものだ。

俺も一応は孤立している被災者で、不便や不自由を強いられている身だ。だから被災してしまった事実や、置かれている状況には同情する。

日常を取り戻せるなら一刻も早く取り戻してほしいと思うし、それが不可能なほどの災難が降りかかったなら、特に亡くなられた方やその遺族にはかける言葉もない。

やるせない怒りや絶望、それを平穏に生活できている誰かにぶつけたくなったとしても、その感情を責める気にはなれない。

だから、理解はできる。理解はできる上で、正直に言いたい。

俺は、自分の不幸に他人を巻き込もうとする精神性の人を助けたいとは、到底思えない。見知らぬ誰かが平穏な日常を送れていることをよしとできる人こそ、助けたいと思う。

これは綺麗事かもしれない。実際に自分が想像を絶する不幸に見舞われたなら、なりふり構わず不幸をまき散らしてしまうのかもしれない。

そのときに自分がどういう態度を取るかは、なってみなければわからない。

今わかっているのは、「自粛ムード? クソくらえ!」な消費活動こそが、巡り巡って被災者支援につながるという事実だ。

募金はともかく、自粛や、自粛の呼びかけをする必要はない。

あなたの消費も、いつか被災者を助けるための貴重な財源となる

話は単純だ。募金をしたいと思うなら、すればいい。したくないとか関心がないなら、それも個人の自由だ。

するならするで、理由は何でもいい。善意でも、同情でも、義務感でも、それこそノリや勢いだっていい。偽善だけど、などと予防線を張る必要もない。

それから、金があるなら募金するべきとは思わないし、金がないから募金できないと申し訳なさそうにするのも考えものだ。本当に募金したいと思っているなら、募金は1円からでもできるのだから。

そして金額の多寡には関係なく「自分にできる範囲で募金した」と胸を張ればいい。

募金の呼びかけや募金先の紹介は、それ自体はありがたいし、素晴らしい行動の一つだと思う。思ってはいても言葉にして発するのは、誰にでもできることではない。

ただし、自粛を伴う呼びかけだけは、どうかご遠慮願いたい。

誰かに我慢を強いてまで募金をしてほしいとは思わないし、それは最終的に投じられる募金額を削る可能性をはらんだ諸刃の剣だ。

あなたが自分のために消費をすれば、例えばそう、

  • 美味しいものを食べたり
  • 欲しいものを買ったり
  • 楽しい時間を過ごしたり

これらもある意味では募金になるのだ。

消費は税収を生み、税金は財源となる。あなたが自分や近しい人のためにする消費は、いつか被災者を助けるための貴重な財源となって届く。

必要なのは、扇動的な流言に流されず、自分で考えることだ。

  • なぜそれをするのか?
  • その目的は?
  • 得られる結果は?

これらをよく考えた上で、本質に焦点を当てた自分なりの結論を出して行動しよう。

そうすれば、状況はより良い側に傾くに違いない。

最後に、西日本豪雨に関して救助・復旧・復興・募金やその他、事の種別を問わずお力添えをいただいているすべての方に、この場を借りて心からの感謝を伝えたい。

お力添えいただき、ありがとうございます。これから暑さも厳しくなる見込みなので、どうかご自愛ください。