PARABELL LIFE

ゆる哲学と丁寧の“Co民家”を運営するフリーランス・パラベルのポータル×コラムブログ

心のひとひらだけでも、カプセル化してインストールできたなら

心の孤独と伝える術と

心の欠片をカプセル化して、インストールできたらどうだろう。

そんなことを考える瞬間が、30余年を数える人生の間に幾度となくあった。

人の心はわからない

人生上の経験・知見を総動員して、誰かしらの心模様に思いを馳せてみる。

喜怒哀楽、それからその狭間に潜む、ありとあらゆる機微の想像まではできたとする。

そうだ、そこまではできる。できるのだ。

けれど、それはどこまで真実に近いのだろうか? 正中を射貫いているのか、それともてんで的外れか、ニアミスか――その距離を測ることはかなわない。

ふとした瞬間、誰かと心が重なったと錯覚する。嬉しくなる。幸せを感じながら、少しこそばゆくもなる。

この名状しがたい感覚が永遠に続けと、誰もがそう願わずにはいられない。

ところが悲しいかな、それが真に重なったのかを確かめる術はない。言葉はあまりにも非力で、すべてを伝えることも、すべてを伝えてもらうことも、等しく不可能に近いのだ。

ならばと、意味深なしぐさに見え隠れする真意を取り出そうとするだろう。

合わせた肌の温もりから、心の音色をつま弾こうとするだろう。

どれだけ切に望もうと、試みようとも、想像の域を出ることはかなわない。

その奇跡的ともいえる邂逅が果たされる確率は、文字どおりの奇跡に等しいのだから。

孤独を生きる

時折、つい誰かとわかり合えたつもりになって、ドキリとすることがある。

それは奇跡に等しいぞ、と理解していても、信じたくなるのだ。

信じるというのは尊いものだ。そして美しく、儚い。

もちろん、信じてみるのはいい。ほんの束の間ながら、孤独を癒してくれる。心の内で無限に広がる、果てなき孤独を癒してくれる。

孤独との戦い。

人間の歴史は、ともすれば孤独との戦いそのものなのだと思う。

癒しきれない孤独の間隙を埋めるために、言葉を繰り、物語を紡ぎ、音に託して、考えうるあらゆる手段を講じて心を届けようとあがいてきた。

ところが、どうしたことか。

人が人になる以前からあるその戦いは、今この瞬間も絶え間ない剣戟を響かせている。

気の遠くなるような年月を経て、数多の役者を入れ替えながら研鑽を重ねた末席に生きるはずの僕らは、未だに孤独との泥仕合を終わらせる術を持たない。

連綿数多の末裔、人類史の最先端は、相も変わらず孤独の今を生きている。

Encapsulated mind/heart

僕らは、どうであれ孤独を正しく伝えられないのだ。

自分が孤独だということも、誰かが孤独だということも、自分と誰かの孤独が似て非なるものだということも……そのいずれも正しく理解できてはいない。

同じように孤独でありながら、微妙な違いを持つ孤独の在りようを正しく理解するのは難しい。その違いは軋轢を生み、痛みとなり、そして孤独は癒されないままだ。

ともすれば、誰もが孤独だという事実にすら、互いに気づけていないのかもしれない。

平成が終わる。

心を、欠片でもカプセル化できるようになったなら。

読み取り不能な互いの心を、インストールできるようになればいい――幾度となく、そんなことを夢想して生きてきた。

一通の手紙に込められた、およそ無限に等しい想いや願いたち。

交感の過程で欠落していく彼らの素子を、1ビットの齟齬もなく感受できたとしたら。

いつかの未来に、心とその孤独のすべてを伝えられるようになるだろうか。

折に触れて、そんな未来に思いを馳せる。

まだしばらくの間は、言葉の時代が続くに違いない。

だから言葉を尽くして、本当に大切なことや必要なことを伝えてみてほしい。あなたにとって伝えるべき誰かに向けて。

その言葉のひとひらこそが、広大な孤独の谷を渡るための架け橋となりえるのだから。