PARABELL LIFE

描いた「理想の暮らし」は、自分の力で組み立てる ―― そんなフリーランス・ライフ・ログ。

地域活性化というテーマについての専門性もデータもとりとめさえない考えのまとめ

肌感覚の地域活性化思考

地域活性化というテーマにはさほど興味関心のない俺ですが、その手の話題に触れる機会ならそれなりにあります。

何しろ正真正銘の限界集落在住ですから。

地方創生などの大テーマを扱うような立ち位置でもなく、日々そのことを真剣に考えているわけではないにしても、触れたことがあるなら思考も走るというもの。

そんな限界集落在住の一個人として、今までに考えたことがあるそれ系の色々をとりとめなくまとめて? おきます。そこそこ核心を突いていたり?

影響力のある人に比重を傾けた施策の効果は一時的

前提として、影響力のある人に頼った訴求はかなり効果が高いです。何にしても、これは間違いないですね。

まずありえない例ですが、「SMAPと一緒にナントカ町に移住しよう!」なんてキャンペーンでも打とうものなら、それはもう大変なことになるはずです。

考えるべきは、初期はその訴求力に頼る方向でもいいとして、いずれそれがなくなった場合にどうなるのか、どうするのか。

当然、その地域自体の価値が問われます。十分な魅力がなければ人は去り、新たに訪れる人も減るでしょう。

SMAPが去ったあと、ナントカ町に残る人がどのくらいいるのか。重要なのはそこ。

恐らく、その多くは去っていきます。動機となったわかりやすい訴求元が失われてしまったとなれば、人が離れていくのは自明の理ですね。

効果が高いからといってそれに頼るのは危うい

俺が現在住んでいる町もわかりやすい例で、仮にイケハヤさんが高知県・嶺北地域を離れたとしたら、その分だけ人の流れが鈍るのは想像に難くないです。

そういう「強い個性を持ったプレイヤー」に依存する施策は、地域を認知してもらう機会を作る手段としてなら有効ですが、

  • そもそも発見してもらう魅力がある
  • 居続けるに値するレベルにある
  • 魅力を相殺するような忌避要素が少ない

これらが成り立っていなければ、持続性という観点ではさほど期待はできません。

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あの人がいなくなるの? それならこの町にいる理由もないかな……。

と思われるようでは効果も薄く、大局的には無意味に終わる可能性もありますね。

一時的に増えただけで終わると、需要を見込んで投入された施設や設備などへの投資が無駄になったりして、元々増えないよりも悪い結果に陥る展開もありえます。

影響力のある人に比重を傾けすぎるのは、「その日」が来て崩壊する可能性をはらむ諸刃の剣でもあります。

地域の魅力を顕在化させて訴求できるのは最低条件

それならどうすればいいのかというと、金で釣るのは考えないとすれば、結局は基本に立ち返ることですね。

  • 地域自体の魅力・潜在的価値の顕在化
  • 移住したいと思われそうな要素を明確にする
  • その上で地域主体で訴求ができるようになっておく

これらはもう今更すぎるくらいの最低条件ですが、それでもできていないところは今でもほとんどできていないわけですよ。

東京などの大都市から地方に人が回帰する流れが強まったとしても、最低条件を満たしていなければ知られることもなく、候補にも挙がりません。

ちなみに、既に地域にいる影響力のある人がその地域を選んだ理由は、外から見た地域の魅力や価値を知るためのサンプルになります。

概してその理由は「環境がいい」などのごくありふれたもので、分析のしようがないという袋小路に陥りがちですが、単にそれ自体が本質だということです。

ありふれた魅力をどう解釈するか、そしてその表現方法も課題ではありますが、実際に移住した人が発信してくれる評価は手っ取り早く効果も高いです。口コミの効果は絶大。

人が定着して活性化するために最も重要なのは共存志向

そもそもの定義として、

地域を活性化する=人(と循環)を増やす

だとすれば、必要なことは案外少ないんじゃないか? と俺は考えています。

最低限の地域の魅力とそれを伝える発信力は必要として、でもそれとは別の、最たる重要なことは何か?

そこに意識を向けて考えてみると、

地域の住民と移住者がいがみ合わずに仲良く共存できるか

恐らく、いや確実にこれですよ。間違いなくこれ。共存志向とでもいうか。

仲良くまでは求めないとしても、過度な干渉や押し付けをしないだけでも相当違ってくるはずです。絶対にこれだ。

  • 過度な要求をしてくる
  • よそ者扱いされる
  • 露骨に嫌な顔をされる
  • きつく当たられる
  • 悪口や陰口を叩かれる

こんなことをされたとして、そこに住み続けようと思えますか?

俺ならお断りです。行くあてや余裕のある人なら間違いなく出ていきます。

もし残る人がいるとしたら、もうどこに行くあてがないか、余力も残っていない、そんな差し迫った事情のある人くらいです。

移住者に身勝手な期待を寄せたり、謎の貢献を求めたりする話はしばしば耳にしますが、それがそもそもの間違い。

いい塩梅で共存できる懐の深い地域なら、自然と人は増えていきます。できていないところが多いから、できているところに人が流れる。

そうして人が増えていくと、その結果が発信される頻度も上がっていきます。現代は口コミ社会の極致なので、そうなるのはごくごく自然の成り行きです。

すると「どうもあそこがいいらしいぞ」と、新たに興味を示す人が現れ、その流れはやがて人が訪れる動機の循環として作用していくようになるでしょう。少なくとも、その可能性は生まれます。

補足すると、ありがちな移住者と地元民の対立で表現しましたが、これはU/Iターン者や地元民同士に置き換えても同じことがいえます。

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逆もまた然りで、移住者側がモンスターな場合だってもちろんあるからな。

その地域の人たちが望んでいない活性化は絶対に実現しない

つらつら書いてきたので、そろそろまとめに入ります。

絶対的な前提として、地域活性化というのは地域の総意がなければ実現できません。これは間違いないです。

行政がどれだけ意気込んで税金を投入しても、NPOが心血を注いで活動しても、使命感に燃える個人が奔走しようとも。地域全体にその気がないのなら、まず無理。

地域ベーシックインカム導入くらいの超絶インパクトがあれば別かもしれませんが。

間違いの中でも最たるものは、移住してくる人を「地域を活性化するための入植者」のような感覚で見て、妙な期待を抱くこと。実際は、自分の人生を充実させたいという切なる願いを抱いてやってきた、ただの人です。

本当に必要なのは、きっと、互いに相手に対して丁寧であろうとすること。

地域活性化の実現は、存外そんな足元のところで左右されるんじゃないか。それが俺の考えであり、そうであってほしいという願望でもあります。

データとしての根拠はない話ですが、人が増えるという、ただそれだけのことでも活性化は進んでいきますからね。

国内の多くの地域が持っている、豊かな自然と美しい景色。そのありふれたメリットは、しばしば人間関係というありふれたデメリットに殺され、価値を毀損します。

身勝手な押し付けをすることなく、良き隣人を前提とした活性化を望めるかどうか。

それを早いうちに体現できたなら、地方創生という名の「限られた国内人口の奪い合い」で優位に立てるような気がしています。