PARABELL LIFE

ゆる哲学と丁寧の“Co民家”を運営するフリーランス・パラベルのポータル×コラムブログ

求めているものと本当に必要としているものは、しばしば異なる

求めるものと必要なもの

求めているものと本当に必要としているものは、一致しないことが多い。

しばしば“求めているもの”は“必要なもの”を覆い隠して、本当に必要なものは見失われやすい。そういう状態に陥った人のことは、幾度となく見てきた。

あなたの心が求めている何かは、はたして必要としているものと同じなのだろうか。

例えばそれがスマホなら

ありきたりな例だが、SoftBank契約のiPhoneが欲しいと思っていても、実用上は楽天モバイル契約のHuaweiスマホのほうが向いているかもしれない。

もちろん、念願のiPhoneを手にすればその時点では嬉しいだろうし、束の間の満足感は得られるだろう。

ただし、時を経るにつれて求めていた理想と手にした現実のギャップ、適切ならざる選択によって生じたロスに悩むようになる。

あるいは、生じたロス自体に気づいてもいない人も多いのかもしれない。

この例なら、契約内容によっては初年度の支出差は10万円を超える。一般的に、10万円は決して安くはない金額だ。

安くはない、安くはないが、携帯端末で10万円程度の支出増ならまだいい。キャリアにしろ機種にしろ、オンラインでいつでも変更できるし、iPhoneの買取価格は悪くない。

もしも人生の岐路にあったなら

これが人生上の重要な判断、いわゆる岐路にあったとしたらどうだろう。

あなたにとって生涯に一度レベル、稀有なる“必要なもの”が目の前に降り立ったとして、それを「これがそうだ!」と認識できるだろうか?

欲しいものたちがひしめき合うるつぼの中にあって、静かな輝きを湛えたそれを拾い上げるのは至難を超えて難しい。

容姿や年齢、肩書き、金融資産の多寡――これらは、誰よりも誠実な一つの愛を差し置いてまで優先する価値があるものなのか。

そもそも、欲しいという欲求は刺激による反射の場合が多い。存在を知らなければ欲しいとは思いもしないのに、あると知るや瞬時に刺激されてしまう。

魅力的に見えるように誰かに仕組まれているだけのものでも、考える前に刺激が走る。思考の形成は欲しい気持ちに浸った状態から始まり、抗うのは相当に困難だ。

さて、あなたにとって必要なものとは何だろう。

あなたが求めている何かは、あなたにとって「ただ欲しいだけのものではない、確かに必要なものだ」といえるのか。

今は微塵も欲しいとは思っていない、しかし実際は必要としているもの。そういう、目立たずとも重要な価値を秘めた何かが、気づかれることなくそこかしこに埋もれている。

それはきっと気づきの時を待っている

多くの人は、見たいものばかり見て、欲しいものばかり手に取っていく。

昨日まで棚に並んでいたキーアイテムが姿を消しても、気づくこともなく日常を送る。何かが足りない気はしても、それが何なのかは今日も明日もわからないままに過ぎ去る。

深く深く、心の深淵に問いかけなければ影も見せない、必要とする何か。

とはいえ、何も「絶対に必要なものだけを手に入れろ!」などと言うつもりはない。

欲しいと思ったものを手に入れる楽しさや嬉しさは、人生に潤いを与えてくれる。それもまた素晴らしい体験の一つだから、あってほしいものだと思う。

ただし、つまり、それはそれとして。

欲しいものばかり追いかけると、必要なものを失ってしまうことがある。

つまるところ、これはそういう趣旨の話なのだ。

自分に自分は見えない。それは鏡に姿を映しても同じことだ。

前面を見ている間は背面の様子がわからず、右を見ている間は左の様子がわからない。どこかしらが必ず隠れる、そんな作りになっている。

あなたが普段から求めている何かの陰には、人生において本当に必要で、大切なものが隠れていて――それは今も静かな輝きを湛え、気づきの時を待っているのかもしれない。